減胎手術~私の場合~

前回は、減胎手術の簡単な歴史と現状について書きました。

今日は、私の場合の手術について、辛い記憶ではありますが綴りたいと思います。苦手な方はスルーしていただいて構いません。

減胎手術は、医師から指定された日にちに行いました。お腹の赤ちゃんは1日ごとに成長していくため、待ったなしです。10週くらいのときに手術日が設定されました。

先生からは「出口に一番近い、一卵性の子達に処置をします。」という説明がありました。つまり、二卵性を残すということです。しかし、減胎手術をすることで、全員ダメになってしまうこともある、という説明も受けました。

手術当日は、いつも通うクリニックの違う階に来るように指定されました。仕切りカーテンがついたベッドが、数台ありました。手術が始まるまで、どこか冷静だった自分がいたのを覚えています。

いよいよ手術室へ。手術室といっても、クリニックの一室に内診台があるだけなので、いつもと同じような雰囲気です。

まず、麻酔を施されました。酸素マスクのようなもので口を覆われ、そこから薬を吸うような形でした、麻酔といっても、意識は半分残るような麻酔で、手術中も周囲の様子は確認できました。身体に力が入らないようにするためだったと記憶しています。

減胎手術は、塩化カリウムを胎児の心臓に注入して、心臓を止める方法です。(文字にするのは抵抗がありますね…)

いつもの内診のような形で、手術が始まりました。先生は、エコーを慎重にみて、看護師さんに確認しながら処置をしていました。

麻酔のおかげか、痛みなどはありませんでしたが、予期せぬことが起こりました。

手術をすることが決まってから手術が始まるまで、妙に冷静だった私でしたが、それまで目を向けることを避けていた感情が、どんどん溢れてきて、涙がたくさん流れてきてしまいました。

「産んであげられなくてごめんね」

この手術を経験する人みんながもつ感情です。

涙が止まらなくなり、嗚咽のようになってしまい、身体が動いてしまうため「ちょっと身体を抑えてください」と先生が看護師さんにお願いしていました。看護師さんも、「辛いよね」と、寄り添うような言葉をかけてくれました。

時間にしたら30分もかかっていなかったと思いますが、とても長い時間に感じました。

手術が終わり、看護師さんに支えられるように、泣きながらベッドに戻りました。

その後、麻酔の影響か、数回嘔吐してしまい、ほぼ1日中クリニックで休ませてもらいました。夜になって、車で迎えに来てもらったときも、車の中で嘔吐。今考えれば、麻酔だけでなく、心理的な影響が大きかったのかもしれません。

翌日は仕事の中でも特に大事な日だったので、出勤予定でしたが、行けるような状態ではなく、お休みをもらいました。

12週目に内診を行い、残った二卵性の双子の経過が良好だったため、クリニックを卒業。私の減胎手術が終わりました。

私と、二卵性の双子のために命を懸けてくれた2つの命は、胎内で吸収されて養分になると先生が教えてくれました。そのおかげか、双子は元気に産まれてくれました。

ブログを書きながら、また涙が止まりませんでした。忙しい日々で、この日のことをじっくり考える時間が少なくなってきていましたが、まだ私の心の中で消化しきれていない記憶だということに気が付きました。きっと、これからもこの気持ちが変わることはないでしょう。

今元気に育っている双子が、成人を迎えるときに、この話を伝えようと思っています。

読んでいただきありがとうございました。

出会うことのできなかった2つの命に届きますように。

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